コロナ禍になってからの1年って体感3か月くらいじゃない?
お題「#この1年の変化 」
今日、スマホの中の写真や動画を整理しながら、コロナが流行り始めてからの1年早かったな…と思いました。武漢市で最初に発見されたのが2019年12月。そこから世界中に広がり、今ではマスクが手放せない生活になるなんて最初は誰も想像していなかったのではないでしょうか。
情報に踊らされてトイレットペーパーが店頭から消えたり、しばらくマスクが手に入らずマスクの転売が問題視されたり。「白湯を飲めばコロナにかからない!」などの誤情報が広まったり。そうこうしているうちにあっという間に感染が拡大、緊急事態宣言の発令。いつの間にか春が終わっていました。
夏の暑い時期にマスク、手洗い、消毒の感染対策をしながら過ごしいつの間にか秋。おかげで少し落ち着いてきたかなと思えばまた冬に感染拡大。気付いたら1年が終わっていました。今日、朝のテレビで「自粛疲れ」という言葉が取り上げられていましたが、疲れますよね、正直。
私は中学3年生の頃からジャニオタをしているので、毎年春のライブツアーに行くのが春の楽しみでした。
コンサートは、元々自分の地元も含めた全国ツアーが予定されていましたが、緊急事態宣言により延期が決まり、更にその延期の公演が中止になりました。延期、中止、と続いて気持ちも振り回されていました。
私のコロナ禍での1番の変化は、このオタクをしていた時のモチベーションだと思います。今までは自分の人生の中で自担が80%を占めていて、何をするにも全て自担に結び付けていました。デビュー記念日や入所記念日、WEBの毎日更新〇年記念日、など細かく逐一祝い、CDやDVDは全形態必ずフラゲし、売り上げの数字に追われ…今考えるとあの頃の自分すごいなと思います。
延期や中止が続き、しばらく会えない事に心を病み、何をする気力も起きずにいましたが、秋頃から考えを変えて別の事に目を向けることにしました。1点全力集中するから疲れるのだ、と。最近は韓国アイドルの動画を見たり、オーディション番組を楽しんだり、流行りの漫画やアニメを見たり、コロナ禍でも1人でできる趣味である御朱印巡りを始めたり、別の事に目を向けつつたまに自担も見る生活に切り替えた所、とても心に余裕ができました。
SNSを見ていると遊びに行っている人たちが流れてきて、最初の頃は「私は自粛しているのに遊んでいる人達のせいでいつまで経ってもコンサートができない」と考えていましたが、他にたくさん趣味を見つける事でそんな事を考える暇もなくなりましたし、「そういう人もいる。コロナ禍の考え方は人それぞれ。」と思うようになりました。
この先最低でも2、3年はマスクが手放せないという記事を先日見ました。いつまで続くのだろうとマイナスに考えて気持ちが落ち込んでしまうかもしれませんが、ゴールはまだ見えなくてもきっといつかは終わりがきます。その日まで、今できる自分なりの楽しみ方を見つけて過ごしてみるといいと思います。
ネガティブな気持ちは自分自身を更に傷つけてしまうだけですし。脳は簡単に騙されるので、「嫌だな」と考えたら本当に嫌な方向にどんどん考えてしまいます。「嫌だな」という気持ちになる前に「大丈夫」と思うようにしてみてください。なんだか大丈夫な気持ちになりますよ。